生徒を理解しようとすること

お仕事の話です。

今日、職員室の私の机の目の前で、ある先生とコーディネーターの先生が、行動障害がある自閉症の生徒の指導についての話をしていました。コーディネーターの先生はいろいろな知識が豊富で、こうしてみようか、ああしてみようかと提案していました。私も特総研でいろいろと教えていただいたので、「ああ、あの方法を試そうとしているんだな」と聞いていましたが、自分が担任だったらこうするだろうなというところを考えてみました。

対象となる生徒は高等部女子で言語がありませんが理解力は高く、体が大きくて力も強く、パニックになると人を傷つけてしまったり、ものを壊してしまったりします。

私はあまり理論派ではありません。とにかく生徒を理解しようとすることが大切だと思っています。「生徒を理解すること」と言わずに「生徒を理解しようとすること」と言うのは、理解するのはとても難しいと知っているからです。他人を理解するなんて、まあ、難しいです。妻のことを理解できているかと聞かれれば、・・・?血のつながった自分の親や子どもでさえ理解不能です。担任する生徒の理解なんてそう簡単にできるものではありません。これが簡単にできれば、問題は全て解決してしまうことでしょう。

「この子は今なんで怒っているのかな・・・」と思う場面でも、とことん理解しようと思えば、「本当に怒っているのか?」というところから考え、それが間違いなさそうなら、今怒っているということが分かったということを伝えるだけでもだいぶ違うと思います。

表情などをよく観察すれば、もしかすると「怒っている」と思い込んでいたものが「苦しんでいる」とか「伝えたい」とか「見てほしい」とか、違っていることもあるかもしれません。原因が分からなくても、「苦しんでいるんだね」とか「何か伝えたいんだね」とか「見てほしいんだね」と共感してあげられれば、変化が起こるかもしれません。

生徒を理解しようとするときの第一歩は同じことをやってみることだと思います。引き戸をガンガンいわせて閉める子であれば、一度同じようにガンガンいわせて閉めてみると、手に伝わる感触やガンガンいう音、何かヒントになることがあるかもしれません。ゴロンと寝転がる子であれば、一度同じように寝転がって見ると、床の感触、冷たさ、見える景色など、分からなかったものが分かってきます。

もう1つ私が生徒を理解しようとするときに大切にしているのは、自分が子どもの頃の記憶です。そんなのもう覚えてないよ、という人もいらっしゃるかと思いますが、私は大人になりきれてないのでしょうか、ものすごくよく覚えています。「こういうので遊ぶのがすきだったな」とか「こういう感触がたまらなかったな」とか「大人にこうしてほしかったな」とか、幼稚園生ぐらいの記憶がまだあります。そこをたどると、生徒を理解しようとするときに、結構近いところへいけるのです。

結局感覚的な話になってしまい、あまり皆様にとって有益な話にはなりませんでしたが、実はまだまだ書き足りません。

どうしようかな、パートⅡを書こうかな?気が向いたらそのうち書きます。

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