3月11日パートⅤ

電気が復旧し、私たちがいつも寝泊りしていた宿泊棟に戻ったのは夜中の1時30分過ぎごろでした。

各居室にテレビはなく、共有スペースに32インチのテレビがありました。突然の停電に、アンテナ関係が故障したのか、はじめはBS放送しか映りませんでした。

NHKのBSニュースが流れていたのだと思います。津波の映像でした。

真黒い泥水が、みるみる街を飲み込み、土ぼこりをあげながら壊されていく建物、人影と思われるものもあっという間に見えなくなりました。走っていた車も流され、まるで、パニック映画のワンシーンを見ているようで、とても現実の映像とは思えませんでした。

特総研には全国各地から特別支援教育に携わる教師が集まっていました。私は盛岡出身ということもあり、東北地方から来ている研修生とは、特に仲良くさせてもらっていました。東北の人たちは、昼間は物静かですが、夜お酒を飲むと人が変わったように面白く、懐かしい訛りも、一緒にいてとても居心地の良いものでした。

そんな彼らと、あの津波の映像を見るのは本当にいたたまれませんでした。

津波で壊滅的な被害を受け、一面瓦礫と泥の映像が流れた時、ある研修生が「あ、あそこ学区だ」とつぶやきました。一緒に泣く以外にできることはありませんでした。

私自身も盛岡にいたころ、岩手県の沿岸部の街を訪れたことは何度もあります。ものすごく高い堤防がどこまでも続き、海岸線の道路を車で走ってもコンクリートの壁しか見えません。津波への意識が高く、防災無線が行き届き、まさか平成のこの時代に津波による犠牲者が出るとは思ってもいませんでした。あの映像を見る限り、コンクリートの防波堤はもろくも崩され、逆に崩されたコンクリートの塊が、凶器となって街を飲み込んでいったようでした。

圧倒的な自然の破壊力の前に、人の無力さだけが強調されているように思えました。

1時間ほどしかテレビを見ていなかったのですが、1日中見ていたような錯覚に陥りました。それほど長く感じられたのです。正直、もう見ていられないという感覚から、私はテレビから離れ、自分のパソコンに向かい、自分の無事を知らせるメール、岩手の友人に無事を確認するメールを送った後、3時ころ、倒れるようにベッドで就寝しました。

目覚まし時計をセットしたわけではありませんが、毎朝目を覚ましていた6時には目が覚めました。

こうして、長い長い3月11日は終わりました。

3月11日は終わったはずなのですが、なかなか過ぎ去ってはくれません。いまだに大きな余震が来たり、テレビで地震関連のニュースなどを見たりすると、昨日のことのように思い出されます。

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